ガタガタと鳴る音に誘われてみればカタコトの日本語にガタガタと打ち震えぐるぐると巻き付く粘着物息もできない。苦しい。苦々しい。非常にヌルいこの国の処罰は海の西から確信的なカタコトが次々と強奪を繰り返し送金で巨万の富。仮にとらわれの身となったとしても数年間衣食に困ることもなく。糞国家に群がる近隣のダニ国家の糞と糞国家の糞を洗い流すこともできない糞国家の糞。としての僕。
ぬめり
現れず
イジマシサ倍増
ユリカゴ
芝居三昧
生半可
巨体を揺らす突き付けられた最後通牒巨体を揺らす下衆の視線に曝され巨体を揺らす
睡眠薬・拉致・犬諸共水没・ロックされていない運転席のドア・やたら土地を処分したがる血縁者とその周辺の暴力団関係者
公園の手品師の野糞
ニガヨモギと僕ら。
鼠の罠。
常ならぬものと常なるものとの狭間が大凡おもしろいことなのかもしれないのだけれどもおもしろいことをしようとしている当人にとってはその狭間が常なるものとなってしまうので当人にとっておもしろいものはさらに常ならぬものの側によった狭間となってしまいそれが乖離でありそうならずに当初の狭間に思いとどまることが迎合なのかもしれませんがそれを商業主義だとか芸術至上主義だとかで片づけてしまうのはどうもちがうので当然そんなことは単なる視点の相違に過ぎませんのでそうして万人の視点は皆違うけれどもたいした違いはないのでした。がっくり。
何をするにしても骨格がわかっていないとどうも結局あまりうまくいかない。無理矢理うまくいくようにすることはできるかもしれませんが。
たとえば、というか、全くたとえ話ではないのですが、少し気候も宜しくなって夕刻陽も陰りかけてきましたしテレビといっても全国の糞の皆様と一緒に痛々しい貴なんたら様の片八百長とは言い過ぎですが対戦相手のとても取り組みにくそうなものなんか見ているの辛いし勝っては本人たちのことも考えずあほのようによかっただの感動しただの土俵でのなんたらを見ていたいとか無責任甚だしくも負けたら負けたで馬鹿丸出しで溜息ついて本当に溜息つきたいのは本人以外にないはずというのにそんなにそれだけ無理して読売の糞爺の無責任な一言はさておき頑張っているというのにそれなのに満員御礼ですらない、ソレ見る気もしないので、つらつらと誰そ彼れに散歩などしていると、ほら、子犬が、子犬っていっても子供の犬ではなくて、水のケバいのとか一人暮らしのばあさんとかあとデブの奥さんのいる家族とかが飼うような、座敷犬、或いは躾の不備によってはとんでもなく馬鹿犬、が、散歩の途中に、どう考えても勝てるわけがない凛々しい顔の秋田犬か何かの大型犬にギャンギャントと吠えかかるわけですがもう、ほら、座敷犬の飼い主の方が逆にびびってしまって、「ほら、もう、やめなさいっ」とか言うんだけれどもなんともまあ躾の不備甚だしく全く泣きやまないわけですが、これ秋田犬全く意に介さず無視決め込むわけですがそれみて馬鹿犬と飼い主も本当に馬鹿なのか秋田犬の側に近づいたりして、気が弱い大型犬とでも思ったのですかしらすぐ側まできてキャンキャンと吠え続ける馬鹿犬に、秋田犬顔を向けバウと一言。馬鹿犬は足も上げずに小便チビってしまいますしチビった小便の湯気たつアスファルトの上に転がって腹をみせたわけですよ。もう。 秋田犬は少しそちらに顔を向けて鼻をヒクヒクさせて、それで、それだけで何事もなかったかのように、再び散歩を続けるわけですよ、秋田犬の飼い主は、すいませんねえ、と一言馬鹿犬の飼い主に、馬鹿犬の飼い主はいいえどういたしましてと訳もわからず。
そんな恐れ多いことです。馬鹿ペニス、おもしろいと思いますし、僕もあんなに楽しい文書き連ねておもしろおかしくすごせたらどんなにいいことだろう、とも思いました。
今度という今度は如何なる割れ目とて到底許されるものではないしまたこの絶望の極みが全ての始まりであるというのならこの先に現れるいったい何が正義で何が悪なのか蓋し想像には難くない。
あなたがたの一人一人が隣人と公称される部分である割れ目の銀色にぬめぬめと光り輝く筋が丸見えであるというのに東京に出て来てすぐの頃バイトの積もり積もった恨み辛みでファッションヘルスに1週間位居ついてそうしてとっかえひっかえ射精三昧で部屋中ドロドロの香り芳ばしく普段は少し強面に見えるペトロと呼ばれるマネージャのマッチョなフィリピン人男性が経営者らしきヤクザの白髪短髪男の前では只のイエスマンでしかない有様は無様としかいいようもないが或いは悲哀。胸までなら…とか服の上から触る位なら…とかでも違った奴が居たのか無くなった。そうなんだ。しかし。少しだけ寂しい気もするが…そこは普段でもそこそこ立派なものだった。
でもちょっと興味があったり戦ったみたいだから…ヌルヌルの仕方も人を隣人の寝穢い口に入れ隣人の中にそして中指と薬指で孔を弄りたおしている仲間に出会うと、一切の悪意と一緒に捨てなさい。と、あの人の声が脳裏に渦巻く。どっちだっていいんだけれども、何回でも赦すべき神はわたしたちの内に住まわせた霊を使った黒光りする聖杯はデカくてホント隣人として見ていて痛々しかったという動機で願い求めるからその道に押し倒し逃げようとする少女の右足を斧で切断した。と言うのだ。
背徳という名の鞄の中には今でもうつらうつらしながら持ち帰っている鞄の中に少しだけ隣人の切断された右足が入ったままだが今でも匂いは少なくて「『隣人』に成ったんだ…」とか言ってはにやりとほくそ笑みそうして必要に応じて語りなさい。後はただあなたがたの一人一人が愛してくれる人の為に生きたまま叫び声をあげる日本人の肌に美しく鈍く光る良く研いだ剃刀の刃でスッと筋を入れて皮をゆっくりと丁寧に剥いでそうして本当の姿をこの世にさらけ出すために脱がし始めた。
一緒に来い。そして七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。と劈かんばかりの雷鳴の如き天啓。神と聖霊の忌まわしくも禍々しき手斧を持つと丁寧に剥ぎ取った日本人の皮を着る事になったところで抱擁と接吻をされた。痛さは後で聞いた話によると皆も同じ位が多いけれど色々みたいだ。あなたがたの一人一人が、聖杯に一杯溜まった何十人もの白濁した葡萄酒を隣人の入口や聖痕に塗りたくりながら多少は女の子だから湿って拭き残しもある気がするのに。何で動いていた奴ってと口々に罵りあう神々。今でも栗の花のような匂いは少なくて、と時々青空を見上げては流れる雲を見るでもなくぼんやりと思うことがある。
でも其れはそうかも知れないしごしごしと血が出るほど強く洗ったら中で急にデカくなって互いに忍耐し生きながらひと呑みにし丸呑みにして足の両足の間の亀裂の方は隣人に嵌って躰をも拒んではならないとでもいうのか、隣人同志傷を舐められたり割目を清めなさいとか偉そうに!そうして初体験が殉教だったとかうっかりと思い違いをして死んでいったりしたあの子の真似なんかするのも良いかな、なんて(そんなの無し)。としきりに願っているがなまじっか礼拝なんて云う程のものもした事は無かって行きがかり上の糞みたいな借金も既に天文学的な金額に膨れあがって鎌首を擡げているし先の方は少し濡れてぬらぬらと黒光りしている。ちょっと好奇心で触ったのもその時の体験が全くおもしろくも何ともない墓場としての学校の帰りにどんな恵みがあろうかしらと今度の奴は皮を被っているようでなんだか感じが違うし少し愛おしいような自分自身を乗り越え卒業した正にその後すぐのことでした。
そうして指で襞をそっと触ったが本当はヨハネとジックリと厭らしい目でみて欲しいよ私の身体は既に準備できているしギンギンに堅い「海の薫り」のする聖杯が私の体にゆっくりと入ってきたときに悲しいけれども汚れてしまった私は人を殺します。さようならお父さんお母さん。
金目の物は何ひとつ見落とさず奪っておく。
それが彼らの唯一といって良い決まり事だったが隣人宅に入ったばかりに両親と弟は首から血を流してピクリともせずリビングに転がっていた。汚れてしまっている人々に分け与えるように一家が揃ったところに静かに忍び寄る黒い陰は炊飯器にタップリの睡眠薬を混入し聖痕はまだ剥けてないと云うのに所謂それらは頭に戴く優雅な冠首にかける飾りとなり手際よく家族の車に押し込め家を出た。勿論、キャンキャンと吠えたてる犬も一緒に。愛を赦して下さった悪魔を舐めてた奴が偽善者をその奥に強引に入れると隣人が包み込むようにピクピクと反応した。「どんな匂いがするのか」との迂闊な質問が意外とよかったが書くならなるべくあの時の事を保つように平静を努めエフェソの信徒たちへの手紙は何が原因でどうか待って下さいと血涙流しながら走り縋り付いて結論は親族殺し。結局家族の車はそのまま湖底に沈み記録的な水不足がなければ当分気づかれることもなかった。しかし本当か?気づいていたが気づいていないことになっていたのではと公権との黒い繋がりも噂され流血痕を見つけられた記録も抹消され自転車を返せと云って走り流血で中がはっきりと見えないことを良いことに中に何か挟まっているかが自分の隣人には何故見えないものなのだというのかという叫び声が聞こえたような気がした。
(イエスは言われた)『中に何か挟まったような人は居なかった。服から下着や偽善者がチラチラと見えかけていて、相談事とかも…その人とは洗礼も抱擁も接吻もした事有りません。』と。
末世の友になりたいと願う人は誰でも墓穴に沈めてやろうそして宿世の友になりたいと願う人はだれでも卑猥でない可愛いピンクの襞が気に入っているのを誰にも悟られずに「海の薫り」を嗅ぎながらじっと一点の突起を見つめ続けよう。しかし罪を知らない者にも悪人にも願い求めても借金を保つように湿った部分を拭かれた時、乾いた布のざらついた表面が敏感な部分には少し痛かった。これ以上はもういくら弄られていても今迄の様なヌルヌルしたものはもう出ない。既に僕らは魚に突かれ甲殻類に削り取られ銃痕痛々しい白骨と化したのだから。
止めておけば良かった、と後悔の念、これを教訓とするためにも削除はすまい。
◆下ネタは偉大
名前:tokky 日付:9月19日(木) 14時3分
下ネタで笑わないやつは品がない
について。
そうだとおもいますしそうですねですが下であるかどうかにかかわらずつまらないネタでは笑えませんあと、これレスの仕方とか面倒な気がします気のせい?
6ヶ月
メロン。ビデオカメラ。
ビデオカメラ三昧。あと、歩いたり電車に乗ったり。紀三井寺界隈。紅葉には未だ。
漸くすこしなれました。が、また来週。
移動そして移動それからまた移動。暑いのに。
とりわけどうということもなく暑くもなく寒くもなく
先週より少し楽でした。S様お気遣いありがとうございます。
無くなる前にとかおもって行ったら無くなるわけではなくて新しいのが既に出来ていたけれども正式には明日からだけれども何か今日も良いみたいで今日行けましたし空調は素晴らしいと思うのは酷暑や極寒の頃だとも思いますのでこれからが楽しみですし上は最大30までいけるそうです。
そうしたら600円でした。泣かれました。ずっと泣かれました。
昨日に続いて泣かれました。ずっと泣かれました。2ヶ月前はあんなに楽しかったのに泣かれました。というか泣く数分前はずいぶんと楽しかったというのに、泣かれました。仕方がないとは思いますが。しかしながら。
"ムネカタ様のoutdexの2002/09/27の日記が面白いです。もうそのおはなし元となるサイトは無いみたいですが「剽窃の理由」とかもアレするとムネカタ様はずいぶんとそのような状況になることが多いのかとかもしくはこれわざと吉外な誰かが遣っているのかとか知らないところでムネカタたん祭りになっていて、「おまえら、ムネカタタンのサイトを定期的にパクって下さい」(←糞スレの予感)みたいなスレッドとかあがってるんじゃないのかとか勝手極まりなく無責任に思ってしまいますしそうでなくても今回偉大なムネカタ様が日記に記入されたことによって蓄膿低脳の童貞の愉快犯が深夜に仮性包茎チンコとマウス握りしめエロサイト徘徊中にロリ絵でののたあーんっと叫びながらティッシュ間に合わずモニタやらキーボードに栗の花臭い白汁まき散らしたりしつつ現れないとも限りませんしとかでもパクるのならなんか猫も杓子も白痴としての無い知恵繊維まで混入するほど絞りに絞って頂いた上でのおもしろおかしくパクってほしいなあいやこれまた想像力とか糞呆けかオノレはなんて全く他人事で無責任なこと考える秋の夜長はチンコもマンコもクッキリ鮮やかに桜色から黒褐色に色付く迄にはまだまだ人生これから老いてこそ人生セックスの醍醐味は生理が終わってからでしょうしそれにしてもこういうときのムネカタ様の研いだヒヤリと冷たいナイフのようなお言葉は微に入り細に入りとても僕にとっては面白いので真似したい剽窃したいと無謀にも切望するも無才な僕にはとても及ぶところではなくて是非とも誰かまたそれすら実に見事にパクってほしいし無責任にあと僕はもう少し非道にもパクられた無念かつ憤懣やるかたない当事者の人のその人の人の気持ちも一人一人についてひとしきり考えた方が良いとおもいます偏にこれいくら惨めったらしいいじましい僕が糞忌々しい他人にいかがわしくパクられることが如何に平気でかつ逝かれたサイト幾らでもパクられる価値もない蛆虫サイトの馬鹿管理者だとしても他人の気持ちを思いやるというこのことの素晴らしくもはかばかしくないような想像力が皆無といって良いほどに欠如したアホであるというのは少年法にかこつけて人にあらざる行為を成しても何ら反省することのないいかれポンチの烏賊臭いチンポを濡れてもいない幼い亀裂に無理矢理押し込み泣きわめくからと言って射精しながら罪悪感の欠片もなく絞殺してすら無罪を主張獄中より知人に対し破廉恥極まりない書簡の数々ですがこの知人もやはり鬼畜の知人かそのような状況の知人からの恥ずべき書簡消却するでもなくマスコミに垂れ流し幾ばくかの泡銭懐にしまい込んでは悪銭身に付かず風俗店で散在三昧の数々は須く極刑に処すべきであると簡単に思って当然ですしそれを馬鹿みたいにそれかっこいいと思ってるのかしら斜に構えたりして感情的にそう至言するのは如何なものかとか馬鹿か人間は感情有ってこそ人間のような気がするので感情があってこその理性であるのかもしれないのだから感情を押し殺して理性だけで生きていていったい何がどうだというのか或いは拉致された不幸極まりない人々の人生について冒険とか普通ではできない貴重な体験とかいけしゃあしゃあと想像の中だけで抜かしてあろうことか己がサイトに書き連ねてしまうことによって拉致された人の残された御家族の皆様が果たしてどのような気持ちになられるであろうかとかは想像できなかったのでしょうかというか他人の心なんか想像できるわけがないし想像してるつもりになってる馬鹿は傲慢極まりなくインチキ臭いのだけれどもやっぱりそのできない想像の出来る範囲で無理にでも想像したつもりの最悪の状況を考えればやっぱりそんなことを貧乏くさい自サイトで書くなんて耄碌しているのか偏屈マニア故の狭視による失言なのかでも言い訳してるし素直に反省はしてないみたいな中島梓様の文章って個人的にとても好きになれないのはだらだらと長たらしくなんだか汚らしいと本当は一度たりとも読んだこともないのだけれども新井なんとかというひとの本と同じように素子臭い(主客逆ですが)でやはり僕は全く読んだことがないのでした。読んでもいないのにあれこれ言うなんてヒドい、というアレはまるで何かの論理のすり替えみたいな糞市民派惚けの言い訳みたいだけれどもやっぱり出来ればせめて読んでからあれこれ言うべきだとも思いますしそれから今日は涼しくなってきたのであれは随分楽でした。でもやはりまだきつい。
朝は野菜ジュース昼は穴子あんかけとろろ蕎麦とジャコご飯晩ご飯は黒糖焼酎ロックとタコキムチと冷奴ととろろご飯。