200305

[20030501]煉獄

ベンチャー企業の社長役員秘書22才真紀子の座右の銘は『特にクリトリス』、であった。
その妹、有紀恵に電話を取り次いだ長髪髭面のこの男は、真紀子の座右の銘について一体どう考えているんだろうか。そんな疑問が脳裏を掠めたのもつかの間、その後、平手打ちに平手打ちを重ねてさらに、右、左、と、平手打ちを2人で分かち合った。そして明るく楽しい屋外での3P。
12月14日朝、ご飯に納豆、そしていれたてのキリマンジャロにミルクをタップリ入れるほどに性格は明るく両親は山の手芦屋地区の被災住民300世帯に対し完全に足下をみてここぞとばかりに家賃一ヶ月2000万円の襤褸アパートを営み荒稼ぎをしていた。
本当は東京の人と結婚したかったとか名古屋はええだがやとか、嘆いてばかりのあなたがたは気持ちが動揺してメランコリックにメラメラと嫉妬の焔の中で心神耗弱の状態の犯行で無期懲役は厳しすぎると控訴を終えたばかりの2人と5人をあざ笑うかのように飛び立つ鳥をテラスの外に見ながらミルクたっぷりのドリップコーヒーに山のように砂糖を入れて、そしてあくまでも優雅に、それを飲んだ。
元々、2人の関係は完全ライブ中継!?気高き知的美人が初めて味わう恥辱と快楽に身悶える改造ビフォアアフターレポート、と題してケーブルテレビで連日放映されていたというから、これは驚きである。その事実に両親は日が暮れ月が昇るまで怒りに怒った。それを100日と8日繰り返した。『成績は優秀なあなたがたも憐れみ深い者となりなさい。』と。さらに切なげに身悶え、依願退職させられたが私にはできない逆上がりをするようにされるみたいに一輪車で実家に帰る予定があった。
2001年夏、真紀子は突如『特にクリトリス』という座右の銘をやめることを声高らかに宣言する。以後500年、真紀子の座右の銘の空白の時代が続く。所謂『黒の時代』である。
ずっと、そして次第に市民達は圧倒的な黒き空白の余りの快感に我も我もと喘ぎ出す。特にクリトリスに鈴をつけるつもりなどと話をはぐらかしながらの拘束を得意としていた女性フリーライターの某は、ライターで火を付けさせられた上に石を多量に飲み込まされて池に沈められた。彼女は遂にビクンビクンと…生きながらひと呑みにし丸呑みにして神がキリストをこの地上の日野市の公団住宅にお使わしになり、妻子とともに暮らしていた、翌7日、思い余った2人の関係はますます親密になって、神は不意にあなたがたに山盛りのキリストを浴びせかけた。と、最期の言葉を残して、死んだ。
8月6日、フリーライター某の師匠筋にあたるフリーカメラマンは、怒りに火を誘惑しても、くみしてはならない。と苛烈なる自制心を働かせた故に生きながらえることが出来た。曰く、
『わが子よ、ならず者があなたに『うちの主人が無理やりレイプしたとでも言うんですか…』と言ったとしても画面上のメールの文字がはかなく消えてしまうしかないが、少し考えさせてくれたら何事もなかったかのように中絶した。夕日の中ラジカセを担いだラジカセマンの上京する様を見つめた痛いぐらいに晴れた夏の日のことであったよ。』と晩年家族に語ったという。
1997年(当時キリスト36歳)、『磯子には夜な夜な暴走族が出るんだってね、近頃は珍走団、ともいうみたいだけれど…』と挨拶はしたものの、誰一人としてクスリと笑うモノも居らず、怒り心頭のあまり、遍く地上の隅から隅まで行き渡るほどの罪と厄災を吐いてしまっても、私が北村と申します、それって女子高生(当時)ってこと?そんな戯れ言は、滅びの後に栄える地上の楽園に於いては、頭に戴く優雅な冠首にかける飾りとなるとばかりに、強引にねじ込んだのだが、何事にもまじめに取り組むタイプだった神の子と真紀子と有紀恵の奇妙な三角関係はいたって示談に至るでもなくだらだらとした関係を続けていたが、上京した父なる神が、『あなたがたにどんな恵みがあろうか、グラウンドに寄って、いつ果てるともない砂利拾いをしたり草むしりをしている罪人さえ決して崩すまい』といった。その後、次第に喘ぎ出す猫を一晩中見つめていたが食欲も失せて60キロあった全身性感帯のハワイ出身の元力士は180キロにまで持ち直しそしてこの上もなく恥ずかしい世界を産むために東北地方にある金色の寺院には、わが子よ、彼らの道を開かされ全身バイブ責め!プライド高き美麗美人の秘唇が執拗な色責めにプライドの絶頂をかけ、男と男の戦いの火蓋はいまここに切って落とされたのであった。世に言う、『カタコンベの乱』である。

いつ止むともしれぬ乱が100年を超え、これを危惧した法王は、世に以下の声明を発した。
『一切の悪意とビニール袋とガソリン入りのポリタンクを一緒に捨てなさい。
そして、互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。』と。
これにより乱は鎮まったが以降現在まで、人々の心は荒みきったままであり人が絶えるその日が来るまで未来永劫人々の心は荒みきったままである。

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惰性で過ごす。さらにやる気なし。

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新和歌浦観光ホテル。花火と蚊。

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新和歌浦観光ホテル。花火と蚊。かもめ亭よりくるくると空を舞う鳶を見下ろしながら昼食。

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饂飩など。

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だるい。洗濯三昧。

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波山

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上腕のこわばり柔軟性の低下。

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心斎橋BUMBU

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[20030511]糞と鶏

雨の流れる糞の臭いに流れる雨の糞色の空から流れ落ちる雨の糞の臭いとドイツで伝染病の疑いで大量に処分される鶏の鳴き声と雨の交差点のバイクの急ブレーキの音と、そして遍く全ての糞と糞と遍く全ての哀しい鶏の声。

[20030512]

腰から。腕だけでは意味がないので。

[20030513]こんなに晴れているのに灰色の空

オマエら死ね。とか。言うでもなく。朴訥と喋る猿顔の爺の雲脂マミレの白髪交じりの頭髪の長い間風呂に入らない人の人としての脂の吐き気する悪臭を隣に微かに嗅ぎながら家電量販店の8階レストラン街の糞マズい回転寿司で久しぶりにあった金田氏と夕食を共にした。金田氏は相変わらず微かな悪臭を放ち町をふらついていたのをうっかりと見つけてしまった僕は気づかない振りをしようとしたけれどもめざとくも金田氏は僕を見つけてしまいとりあえず缶ビールなんかでお茶を濁そうとか思ったのに気が付いたら結局飯を奢ることになってしまったのだけれども金田氏は朴訥と微かに悪臭を放ちながら喋るけれどもその口調のみ朴訥なだけで結局冷たいのがどうしただのという話題になってしまって最近は三角公園付近でも押屋をあんまりみることもなくなったけれどもいったい今はどのあたりにいるのか知っていたらおしえてくれみたいな押屋にあっても1グラム買う金もないくせにさあ僕もそのへんのことはさっぱりわかりませんねえなんて気のない返事しながら糞マズい寿司をつまんでいたらサーモンがあまりにマズかったので湯飲みの中に吐き出した。用事をおもいだしたからとかなんとか適当なこと言って五千円置いて僕は先に帰った。生茶を買って駅の公衆便所で生茶で口を濯いだ。

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紅茶を買う

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だらける

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これはまた立派な人がいたものです。お医者様とのこと。どこの国もさしてかわりもせず。また皆様の対応の素早いこと素早いことそれはまあ鈍亀の如し。

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生唾生痰

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早くするべき。

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まあ良くやった方ですがしかし笊。

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また笊。

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本日もまた『死ね』等という罵倒の類を公に記述することを厭わない立派な人をお見かけしました。

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