左団扇を扇ぎながら、火男顔の義男は呟いた。
『なんかさあ、こう、ねっ、ばーっと、燃えるような…』
『えっ?』
指でほじった鼻糞の塩味を味わいながら食べていた僕は、義男の唐突な言葉に余り意味も考えずに聞き返した。
『いや、だから、こう、ねっ、毎日だらだらと、してるわけでしょう?』
『うんっ』
『だからさあ、もうそんなのは、ちょっと飽きてきたっていうか、退屈だし、なんかいやだから』
『だから?』
『いやだから、こう、なんか、ばーっと、燃えるようななんかしたいなあ、やりたいなあ、なんて。』
『ふーん。』
『ふーんって、どうよ、お前は?』
『俺?俺はべつに。そんなことどうでもいい。』
『そうか。そうだよな、お前ってそうだったよな。』
『そうだよ』
『そうか。それじゃお別れだな。じゃあ。』
『えっ?あっ、ああ、じゃあ』
義男はそういうと、ミッキーマウスのパジャマ姿のまま南へ旅立った。
その旅の途中、義男は峠に巣くうチンケな山賊を征伐しその支配下に置き、相対的優勢確保の努力と結びついて、敵を奇襲するという、一般的な努力を生んだ。秘密と敏速さが奇襲の2要因であるが、この2者の実現のためには、政府および将軍の側における大きな気力と、軍隊の側における軍紀の厳しさが必要である。指揮官が軟弱で、規律のゆるんでいるところでは、奇襲に大きな期待をかけることはできない。(クラウゼヴィツ著/淡徳三郎訳「戦争論」より)
幸いにして義男にはその資質が恐ろしいほど備わっていた。
やがて義男はその峠の砦を拠点に次第に勢力を広げ、あっという間に一国を支配するに至った。
それ以降も義男は周辺国家を軍事だけではなく外交政策経済政策など様々な手段でその支配下に収めていった。もっともいかな義男と謂えども、あらゆる天賦の才を備えていたわけではなく、其の優秀な側近の力があってこそであったのであるが、また義男には他人の才能を的確に評価し伸ばし、さらには彼らの心を忠誠心を保つだけの魅力、カリスマがあった。
そして、国家は安泰し、世界に平和が訪れた。義男の子供たちも立派に成人し、そして義男は年をとり、愛するものたちと幸福に囲まれて死は直ぐそこに訪れた。
『うむ』
『父上っ』息子が、今は国家を統治する王が。
『義男様っ』苦楽を共にした側近が。
『あなたっ』愛する妻が。
義男の枕元に集まる。
そして義男の口から最後の言葉が。
『なんか、こう、退屈。』
くる日もくる日も彼は頑張りつづけた。飽きることなく、休むことなく頑張りつづけた。
雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も燦燦と日の照りつける暑い夏の日もじりじりと茹だるような湿度の高い不快指数の高い日も彼は頑張りつづけた。一心不乱に彼は頑張りつづけた。
頑張ることは良いことだ。継続は力なり。彼はそう教えられていた。そうして彼は頑張りつづけた。何を頑張っているのか、何のために頑張っているのか、彼はそんなことは全く気にも留めず、只管に頑張りつづけた。
そうして彼の馬鹿げた努力によって、世界は崩壊した。
うどんを食べた。ラーメンを食べた。キムチラーメンを食べた。ニンニク入りで。
おでんを食べた。すきやきを食べた。お好み焼きを食べた。
おいしいね。好きなものを好きなだけ食べられる、こんなに幸せ。
ねむい
だるい
節分、立春、旧正月と暦の上では春への準備も着々と進み行く中の準備の一つとして底冷えを伴う冷たい雨の中、京都市山科区の四十九日の法要。處がまたその再生の段に於いて何らかの新たなる拠り所が小学校児童として創られねばならないにもかかわらず存在しない現在日本の状況は与えられた課題に対して歴史の表舞台に立った日野富子に教えられた使い古された手段を取っています。殺害事件の容疑者がこれを守る為にはどうすればよいのか、6人(!)の刑事を本来なら部下の失態拭う為の高給取なる責任ある立場であるキャリアたる部長刑事などそれに加え評論家の佐高信さんは自転車をつけた、と聞くと母は何も言わず私の肛門やお腹の中身は日教組である、と主張する右翼団体の人々の意見は成る程、それを求められる以前に数枚のワープロ打ちの文書を借りただけのヤクザ紛いの暴力団如きには日のあたる道をやらせてみようと思わせるような側面もありますがその日教組のような人々に疑問を投げ掛ける京都府警の山科署捜査本部の調べで分かったことは筆跡が酷似していることと女性の社会進出が広がる中「女性学」という似非学問を装った発言を署長クラスが雁首揃えるべきであるにもかかわらず、不幸にも糞屑低脳キャリア役立たず官僚に押し付けられた、現場の部下を必死で庇う刑事部長様の言葉を借りるとするならば、「脱兎の如く」予め予期していたのか予行演習も当然のように、遅きに失した感で振切り振り切られたのであるが、近隣のマンションにて、その身に纏わり付く約600メートルしか離れていなかったことに気がつくと、ひどく暑くそして異臭が漂った太田新知事の謀略張り巡らされた陰惨なるこの世の重圧の象徴なのか着衣履物等脱ぎ捨てつつ、軽やかに宙に自らの防犯登録証と願書などと思った極太の長いペニスバンドは評論家の佐高信さんからの借り物であったにもかかわらず、命軽々しくなどとよくもまあ本人の心内解ろう筈もなく平気でその口から発する糞コメンテーター如きがアナル栓もせずに、僕らの臓腑煮え繰り返らせるために京都市内に集結する各種塵屑低脳取材班の皆様は、またゲス勘繰り出歯亀一般大衆という実在しない現実の存在の欲望に答えるべく歪んだ使命感に燃え、京の底冷えにも耐え、マイク持つその手に手袋もせず、小雨降る中、公園そして校門前と、空虚な言葉を繰り返す中、モザイクかけたりかけなかったり、放送局によりまちまちの、横山前知事の強制わいせつ事件の後だけに、知り合いと称する得体の知れない果たして本人たちもさぞ心の底に不快混乱と困惑の渦、若しくは下賎な謝礼目当てのよく知りもしない非道な輩なのか、他人の言葉と空虚なるレンズの向こう側を僕らは垣間見ることも出来ず、その対応に全くの意味はなく単なるポーズ。そのころ大阪府知事選挙・京都市長選挙が実施され山田勇様による疑惑だらけのセクハラ疑惑による辞職の糞因縁噴飯もので大阪では全国初の選挙演説で恥ずかしげもなく堂々と小渕闇心恵三首相様へのオネダリなど上口下口より涎際限なく垂れ流しつつも一物で塞ぎ喘ぎながらも口になされる程度の知れた蓮っ葉キャリア(ここにも!)などと失礼甚だしい暴言の数々女性知事誕生に本来であれば赤字会社の先ずは歳出カットが常道であるにもかかわらず下らない選挙などしたばかりか、借金または増税以外にあり得ない公共機関の歳入を増やすことにより乗り切ろうという、将に官僚的貧困な発想に全く闇は深く(ところで、「ふーちゃん」ってどうゆうことですか?)。
社会的な規範の欠落は凡そ人々の心の拠り所となっていた某かが崩れ落ちたときに湧き上がるものであるのでしょうか。處がまたその再生の段に於いて何らかの新たなる拠り所が創られねばならないにもかかわらず、存在しない現在日本の状況は与えられた課題に対して教えられた取り組み型での対応のみで、課題の発見や新たなる対処方法を導き出す為の規範となるべき拠り所が何処にもありません。人々の心を腐敗させたのは日教組である、と主張する右翼団体の人々の意見は成る程と思わせるような側面もあるのかもしれませんが、その日教組のような人々を教師にすることとしたのは他ならぬ国家であるという点は如何なものでしょうか。また日教組の人々の申されるような平和主義は勿論の事大切な事なのかもしれませんでしょうが、其れゆえ右翼の方々が主張される極度な国家主義思想は唾棄すべきというのもなんとはなしにそうなのかと思わせる節もありましょうが、何のための平和なのか、何から何を平和に保つのか、或はどんな状況においても平和を守る為にはどうすればよいのか、といった具体的な方針や道標となるべき指針或は心の拠り所を持たない日教組の人々のいうことを頭から信じるわけには参りませんし、このように犯罪の低年齢化が進んでいるという事実がある以上、教育方針というものに何らかの誤りがある、又は社会の実情と彼らの教育方針にズレが生じていると認識して頂かねばならないでしょう。また其れとは別に右翼の皆様の思想を持たないその姿を借りただけのヤクザ紛いの暴力団如きには日のあたる道を歩いてはいけないという確固たる信念をその様な闇の世界は常に存在するのは当然ながら闇が日のあたるところには決して出てこないような、畏れ多くも天照大神様のおわしますこの国に闇が、屑どもめ、という力を持たない言葉も空しく空に翻り冷たい雨粒の音にかき消されていきます。
仕事場の僕が座っている場所の丁度右後方1mにドアがあり、そのドアの傍には鱗のようなブラインド?のような、なんというのか形容が難しいのですが、兎に角、空気の出入り口のようなものがありまして、そこから吹き込む隙間風がとても寒いのです。僕の右半身は凍りつくように寒いのです。凍て付く。
取り敢えずこの隙間に目張りなんかしてみたいとかも思うのですが、これをしてしまうと部屋の空気の循環は凄く悪くなってしまい、ただでさえ本来物置のようなこの部屋の濁った空気はますます濁りきってしまいそうです。辛いですね。 どうも霞気味の掌底が顔面に掠った際に口腔内を傷つけたようで、そこが口内炎になって日々の食事にも難儀致しております。口内炎故に肩凝りが起こり、肩凝り故に口内炎治らず、そんな悪循環。日々チョコラBBなど飲み続け早1週間、全く治癒する気配も無く、チョコラBBの残りも少なくなってまいりましたので薬局に参りましたところ、チョコラBBとは別の薬剤を薦められました。2000円。また、ハンバーガーなどの油分の多いファーストフードは口内炎には非常によくないとの事。僕は殆ど其れを食べない旨を薬剤師の方にお伝えしたところ少し何だか期待外れのような御表情。ごめんなさい。毎日食べると嘘つけばよかったです。 寒さは辛く、何だか仕事は凄くやる気ない感じになってしまいます。風邪か?それは困りますので、暖かくして。キムチラーメンニンニク入りなど食べつつ。
本日は、なかなかに思うようには体が動きません。次々と捌かねばならない状況になると全く腰の入っていない上半身だけでの捌きになってしまうか、または腰落としすぎ寧ろ居付いているような状態。これではだめなのでしょう。兎に角繰り返すしか能がないので、そのあたり留意しつつ精進致す所存であります。
デーブスペクター様の凶悪犯罪に対する真摯且つ前向きな態度は他の糞コメンテーターの皆様とは格段の差があります。僕の記憶の中ではデーブスペクター様はシカゴ出身だったような。間違いですか?また、飯星恵子様も、オウムなどのカルト系教団の話しの場合はデーブスペクター様の凶悪犯罪に対するのと同じく。しかしまあ、どっきりQも懐かしいのです。
日和ったが最後、収賄をした衆院議員が所属する政党の推薦と言われもうどうしようもなく、イメージとして貧弱な脳裏に沸き立つのは『強姦』の2文字。具体的な方針や道標となるべき指針或は心の拠り所となる男性であろうと女性であろうと、それが大変な勢いでその様な闇の世界は常に存在することを認知することにより、モザイクかけたりかけないか、そして姉が私のうれしい部分を触り、姉に『この子ウンコが溜まったまま歩いてはいけないのよ、立候補の経緯などそんの私にはあまりにも意味のわからない事で泣けてきました。』と言われました。そして恥ずかしい部分をゆっくりと攻撃されました。と思うとそこには普段の母と姉からは想像もつかない恐ろしい姿の二人が。助けを求められた際に所持していたリュックサックの中に、事件に使われた自転車などが見つかった、との町の声が交錯する中、平時には女性でも筆跡が酷似していることと、午後の3時頃母と姉は家にいる時間で私はいつものように『ただいま』を歌いながらスキップまじりに帰宅した。
数枚のワープロ打ちの文書があり、「わかってほしい」「さすらいの刑事」「どうして」といったタイトルがついていた。これに対する政策として、去年の夏から継続していたウェイトリフティングで体力を強化していたため、少し楽になりましたが、まだなにもわからない状況でした。何のための平和なのか、殺害現場に残された犯行声明文にはまた、『美空ひばり』というキーワードかあった、と話していた捜査関係者に疑問を投げ掛けるのだが、歪曲された事実のみが記者会見の席上で公表された。何のための平和なのか、を本来なら部下の失態拭う為の高給取である責任ある立場のキャリアたる部長刑事など首揃えるべきであるにもかかわらず不幸にも糞屑低脳キャリア役立たず官僚に押し付けられ、まさに「疑問だらけ」の中、隣接校区からも約600メートルしか離れていなかった飛び降りながら無職の男を触り姉に『ウンコ娘っ』と罵られたことも、今となっては良い思い出です。自転車やパーカなど多数の批判を繰り返す中、日教組のような人々は『暮らしの中から政治』といった戯言をスローガンに掲げ、新大陸発見に向けて境港を出向しました。
急に私は誰かに羽交い締めにされたんです。『いやー---!!……後で必ず手紙を書くからね』と耳元で囁かれたという事実がある以上、偉人の言葉を借りるなら『わけぎ食べた口臭い』。平気でその口から発する糞尿臭を増やすことにより乗り切ろうとされるのだろうとおもいながら、ここにも現在の自宅近くにある小学校で私に猿轡を噛ませ、笑いながら見ていました。そして課題の発見や新たなる対処方法を仕舞い込んだ黒いリュックに白のマジックペンで『ねぎ』と書くや否や、そのリュックを私に投げつけ、そして母と姉はまた心意気に免じて笑いつづけました。
過日に思いを馳せる日々を徒然に続けていると、漸く開きかけた梅の蕾すら閉じんばかりの勢いで、僕の心は萎んで行きます。あなたと出会い、あなたを愛し、あなたと過ごした短い或いは長い年月をなんで忘れることが出来るのでしょうか。ところが僕はまた別の人と出会い、別の人を愛し、別の人と過ごした短くも長い年月を新たな記憶とし、更にまた同じ事を繰り返しつつ微妙に時期を重ねながら、またその記憶も重なり、もつれ合い、ああ、今思いを馳せているこの過日は一体いつの事だったのか、あの人との事だったのか、それともあの人と過ごした日々の事なのか、それとも、人の心というものの実態の儚さ故に、僕はこんなふうに困惑してしまっているわけなのですが、それでもまた人の心の儚さ故に、その困惑や混沌すらやがてまた新たな過日となり、そしてまた全ての馳せる思いは融合していくのでしょうか。
商店街の洋品店の角を右に曲がり暫く歩くと右手にうらぶれた児童公園があり、僕は天気の良い休日などには、商店街の入り口にある立ち読みを意に介さない中村書店で文庫本を買って、この公園の藤棚の下のベンチに腰掛けて本をパラパラと眺めたりする。そんなとき、僕は本当に本を読んでいない。ただページをパラパラとめくりながら、忘れ去られた公園の風景を眺める。チェーンでロックされたフェンスで囲まれた水のない水溜のようなプール、犬猫の媒介する病原菌対策なのかやはりフェンスで囲まれた砂場(鴉は入り放題)、スプレーで落書きされたブランコ、ペンキの剥げ落ちたジャングルジム、傾いた鉄棒。近くに高層マンションが出来、その敷地内に大きく新しい公園ができて以来、マンションの日陰となったこの公園には子供を見かける事がなくなった。そんな僕のお気に入りの公園。廃墟。静寂。
小商いばかりでは利益が上がらない。そんな言葉がしばしば父親の口から聞かれるようになった。やがて父親はした事もないような大きな商売に手を出し、そして当然のように失敗(客観的に見れば顕かに騙されたのであるが、人の良い父親はいまでも自分の失敗だと思っているのかそう思いたいのか。)し、割合羽振りの良かった家屋敷は全て失った。その頃僕は仕事の関係で家族とは離れ、独り東京で暮らしていたのだけれども、僕は端から家の財産などは当てにはしていなかったのだけれども逆に僕は僕自身の事しか考えていなかった為、家族の為に僕が出来るようなことは何もなかった。
ある日、地元の友人の結婚式に出席した帰りに一晩泊まるために実家に戻った僕は、母屋だけ残して庭や離が更地になっているのを知った。そのとき僕は何一つ実家の事情を理解していなかったのであるが、誰もいない実家(既に名義は実家ではなかったのだけれども)で過ごした。翌日何とか父親に連絡を取り、事情を知ることが出来たが、家族や、近い親類も皆そのことは知っていたというのに、僕だけがその事を知らなかった。或いは今思い起こせば知ろうとしていなかったのかもしれない。そんな過ぎ去った日に思いを巡らせながら、忘れ去られた公園で僕は遊具をぼんやりと眺めていた。
湯の山温泉に。2泊3日で。交換されるべきモニタがきました。明るい。
とてもとても喉が痛いのです。だからといってそれは全く誰のせいでもないので。寝ます。
『色摩君の鬘、きっと汗臭いよねっ』
君は微笑みながらそんな風な言葉を口にするけど、いったい何の根拠があってそんなことが言えるんだい?嗅いだ事もないくせに、嗅ぎたいとも思わないくせに、第一彼に失礼じゃないか。と、僕は心の中で思いながら、
『さあ、どうだろう』と曖昧に笑いながら答える僕。
<答えを教えているところ>
お母さんこれは肉です
『どうしようかしら』
お母さんが考え込んでいる
『うーん』
肉は簡単なのに
お母さんボクが教えてあげましょう
肉は
おいしいです
<お母さんを見直しているところ>
お母さんこれは魚です
『どうしようかしら』
お母さんが考え込んでいる
『そうねー』
確かに魚はむずかしいですよ
食べてる時に骨が口の中につきささったりするし
『やっぱり今日はやめとくわ』
さすがはお母さん
(内田かずひろ著/「シロと歩けば[1]」より)
福岡翼。永六輔。喰始。こいつら、なんか気色悪い。
僕が工藤兄弟のことを心底嫌悪している理由は、その行動及び容姿全てにその心の卑しさが溢れ出ているからです。本当に醜い。要するに世界は自分なのだという工藤兄弟の気味の悪い世界観の腐臭がブラウン管をこえて臭って来るのです。直接ならば尚更。全く僕が工藤兄弟だったとしたならば鬼畜の如くセックス三昧です。まともな仕事もろくにしもしないで。羨ましいのです。うるさいばーか。
なんでそんなこというのですか、僕はこんなに愛しているというのに、なんて口にしてみてはじめて気が付いたのは、『愛している』ってなんなの?という大愚問。とか口にしたりすることが(勿論文章にも)非常に恥ずべきことなのかどうなのかそんなことは本当にどうでも良いことだと思いました。誠にこの件に関しまして考察すること自体が実に愚かしく、社会生物学とか、宗教とか、哲学とか、生理学とか、心理学とか、つんくとか、さいもんふみ(わりと嫌い)とか、秋元康(大嫌い)とか、まあその他本当にどうでも良いことについてどうでも良いことをウダウダと書いていてどうでも良い僕らのどうでも良い人生にどうでもよい彩りを添えてくださりつつ小銭稼いでいる素敵な皆様本当に愛しています。嘘。死に曝せ。嘘。本当にどうでもいい。
世俗という薄汚い養豚場でのうのうと臭い餌さも旨そうに意地汚く貪りつつ暮らす醜い豚の皆さんお元気ですか。こちらは養豚場から外に流れる糞尿だらけの下水溝から糞尿まみれの幸せに浸りつつの蛆虫であるこの僕が満面の馬鹿丸出しの笑顔でこんにちは。サカナカです。そういえば糞まみれの蔑まれてしかるべき僕らの人生においてあの醜くも儚い家畜って一体何なんでしょうね。或いは意地汚くも健気な家畜の皆さんにとって僕ら薄汚れた食人鬼であるこの存在ってそれでも何を言わんとしているのかキロバトル単位でわかってくれているのはあなたたちです。って叫ぶな。うるさいっ。指差すなっ。
例えば仕事から帰宅する途中で宵闇に紛れつつ人込みを掻き分け流れ落ちる泪を見られぬように伏し目がちで元陸上部の健脚の早足で目の前を通り抜けていった電車に飛び乗った地下鉄淀屋橋駅で中津行きに黒い外套のB.B.激怒ものの竹の取っ手の手提げ鞄千切れよとばかりに閉まるドアに狂気含みで叩き付け泪化粧と溶け合い黒い泪ぼろぼろ零れ落ちる僕とは何の関係もないうら若き憂いを含んだ大層美しい女性の大変そうな人生を僕はただぼんやりとマスクをして眺めつつ僕の気持ちは唯唯眠いばかりで寒い寒い冬の名残りの風邪含む風は肌寒く室内室外の温暖の差は更に更に僕の中の睡魔を呼び起こしています。夢魔。黒い泪といえば小学校のとき掃除の時間に虐められて泣いた女の子、雑巾片手に泪拭うと雑巾の汚れ含んだ黒い水顔に付きイチビリすかさず『わー、涙黒い。腹黒い奴の嘘の涙。黒い涙、わー』最悪なまでの子供の残酷性、よくもまあそんな腐れ精神で大人になれたものですがそれはさておき。
それでも隣でつり革を持つうら若き女性の、『ニュージーランドって人間よりも羊の人口の方が多いんでしょう?』なんて馬鹿なことを口にしてはいけない買ってもいけない沈黙を守るべきなのは『羊』に対し『人口』?だからではないとも言えないのですがその口に何か(蛹とか。)を詰め込んだりこの寒空に営業職を良いことに仕事中に社用車で各種連続放火三昧で火を放って心の焔青春再びと謳歌してみたり、或いはあの所謂、黒い家みたいな家に金髪を持ってして女連れなんかしてやっぱり火を放ってみたりしてそれとも数千円の為に撲殺しそれでも、熱が出ても寒空の中夜明けまで夢の島公園で若い男性やカップルが集まる?ホモカップル?ハッテンバ?を狙った犯行を繰り返していた中学3年生と定時制高校1年生のコンビ?ホモ?ヒョウカ?どうせパシリ裏では鬼神のようなひとし部長のねっとりと先走る糸引きつつ?
それでも優柔不断な己というものを確立することさえ出来ずにというかそんなことすら思いも拠らないぐらいに思考停止のまさに家畜、な人々の心を弄び、只でさえ春の陽気に誘われるほど暖かいはずもなく寒い寒すぎるよっここはっ地球は寒いところですね、この季節に何をトチ狂ったのかチンコ丸出しにして大騒ぎの日々お過ごしのことと存じますがどうですか、なんて聞かれても、小学校の友人がどうやって調べたのか僕の家に電話そして久しぶりに会いたいと、いうか、よくよく聞いてみるとマルチが。煩い。死ね、僕に金を残して。とは言わずに取り敢えず駅前の喫茶店でケーキセット(アールグレイ+モンブラン)頂きまして食べ終わったら、『さようなら、元気でねっ。君のことは、とても良い、とても良い、思い出だったよ』と一言他人事のように声をかけ喫茶店を出たのです、追い縋る友人を振り切るように。
それでも僕は追い詰められ公園を駆け抜け(意外と健脚)、ショッピングセンターを走り抜け近所のマンションへ逃げ込みヤクザのような嫌らしいねちねちと盲蛇供に追い詰められ、もう逃げ場はない。来るな、来たら飛び降りるぞ。飛び降りろよ…人殺し…お前なんか生きている価値のない…どうせ死刑…弱者にしか…卑怯な…どうせ自決する勇気なんか…。聞くか聞かぬかこの世の柵を打ち捨て飛ぶ…。
それでもその言葉を振り切るように背を向けた一瞬背中に熱い感覚が彼女が僕に体当たりする衝撃と共に。顕かに刃物(鱧切包丁?)の感覚生暖かく溶岩のように脈打ちつつ流れるものが脇腹から臀部から大腿部そして脚の指先までゆっくりとゆっくりと老人がしゃがみ込むように廊下に崩れ落ちる体薄れていく意識うつ伏せに倒れた僕の背中に腰に肩に首に脚に繰り返しつきたてられる刃物鈍い音と共に鋭利な痛み声は出ない虚ろそして晴れ渡る空、眼下に広がる雲海の隙間より見える汚れきった俗界ドクッドクッドクッ、ドウシヨウモナク、頂きに立ち斯界を見渡しても、ドウシヨウモナク、言いようのない不安、いたたまれない気持ちで慌てて白い頂きを持つ白い山、火山を下山。躓き転げ落ち切れるザイル白い山赤く血だらけになりながら薄れ往く意識突き出した岩場に全身を強く叩き付けられて、それでも
それでも…その血の気のない青白い肌と既に流れ落ちた血の赤を混ぜたような鮮やかな桃色のベルガモットの香りするその唇にそっと人差し指を触れて雪のように冷え切った体温そのこんもりと山の頂きの様にふくらみのある胸部に耳を当て聞こえない心音停止した鼓動。2度と動くことのない命過ぎ去った時間漸く認識できたとしても容認することなど出来ない心ここにあらず。それでも、それでも僕は構わない。申し訳ないことをしたなんて見え透いた言い訳しかも計画的な言い訳、己が未成年であるが良いことを卑怯にも盾に計画的に押し入り絞殺獣欲を遂げたばかりか何の罪もない幼女惨殺死ね死ね死に曝せとばかりにその上で申し訳ないことをしたなどとよくもまあヌケヌケト決して許すことの出来ない。必ずや大怨を。
で?ぼんやりとふらつくへんてこりんな頭で考えるでもなく思いつき反芻し吐き出しつつへんてこりんな僕の時間腐っていく夢の中炬燵の中ぬくぬく幸せ感じつつ少しばかりの奇妙な感想や湿度の低下が喉の痛みを引き起こすも、それでも腐っていく時間の唾棄すべき世界の中で、そしてそれでも幸せ?
快楽を懸楽とする意味において我々(誰?)は糞虫の如く去勢された火燭の如き様相を呈しているのですが、そう云う点についてあなたはどう思うのかと、甲高い気持ちの悪いオタク声で問い掛けられても、『うるさいっ、臭い息吐きかけるなっ』と言い放つ前に拳を出すことが出来るほどまだ社会性を失っていない僕は、『えっ、はあ、良くわからないですっ』と男鹿半島に実る林檎の実のように或いはまだ知らぬ少女の様に頬を赤く染め畳に「の」の字を指先で書きながら俯くばかりです。全く意味のない言葉の羅列でこんにちは、サカナカです。そう云うあなたは誰ですか?
いつもいつも検証ばかりしていて何ら結論を出すことのない「ザ・スクープ」は近年稀に見るほどの頻度でインターネットインターネットインターネットネットネットネットネットネットネット。昨日も自殺がどうとか良くわからない人とか知らない人とかあと日に日に悪人顔が板に付いてきた麻木様などの、糞詰まらない以前になんだか全く意味のないまるで朝日新聞編集委員のすっとこどっこい様がニュースステーションで久米様の横で答えるくだらない下賎な言葉のようなものをその淫猥な唇から発するのです。実に嫌らしい。とてもセクシーです。それはそれとしてやはり『あなたたちですっ』って叫ばれて指差されるのは本当に不愉快ですが、まあそんなことは大したことではないのでどうでも良いのですし世の中の大半(僕自身も含めてほとんどの事象・存在)はどうでもよいことだらけなのですが、そんなどうでも良い僕にとってはそれはとても大切なことなのです。判ってよ、教えてよ偉い人。それにしてもあの弱い在り来たりのオチというには弱すぎるあのネタで509キロバトルは多過ぎです。単に僕が判っていないだけとしても。
久しぶりに更新したら疲れた。
更新しましたとかの連絡をリンクしてくださっている皆様に連絡させていただいた。疲れた。でも。もし漏れている人がいたとしてもそれは意図的なものではなくて短に僕が馬鹿でうっかりしているからだからなのでそれは許してください。
いやはや、腕がですよ、腕が、千切れるのは痛いだろうなあ、と想像するだけでぞっとするような気分ですが、それから僕は八百屋に出かけたのですよ、そんなことを考えながら。いつもいつもアーケードにダミ声を響かせている商店街の中でもひときわ目立つ八百屋のオヤジは丁度配達に行っていて、店には留守番のばあさんしかいなかったわけですよ。このばあさん、八百屋のオヤジの母親なんですけれども、(以下オチのない無駄話につき削除)。
そういう時に土俵に上がりたいだの何だの煩いって、ふーちゃん、そんなことより、赤字、何とかしろよ。で、まあ、ふーちゃんは良しとしても(ダメだけど。)、おい、辻元清美様、何でオノレがシャシャリ出て来るか、お前関係ないヤンか、オマエッテイウナ、オマエ。若松親方もいつまでもニコニコしてへんでっ。お友達の人の下にいる紋紋の人々、怒り出しますよ。ピースサインだしても泣かしますよ。ボート乗せて売り飛ばしてダルマにしますよっ、てなこといわれるかもしれません気をつけてください。それにしても辻元清美様の裸なんて全く見たくなーい、チンコ勃たなーいっ、と全く酷い誹謗中傷が罷り通るようなこんな酷い無法地帯、インターネット、そりゃ鳥越様も微妙に固めた前髪揺らしながらザ・スクープしますし、彼の麗しの名犬ヨッシー様(元売名行為・ガキ帝国にも御出演の升毅様似)までも御出演なされて、そりゃあ、ファンもふえようってモンですよ、全く相談のメールよりもファンレターの方が多くなってしまうなんて本末転倒ですが、一部の心優しい方から以外のメールの来ない僕なんかに比べると羨ましい限りです。うらやましー。むしろ、怨めしい。ああ、なんか頭くらくらします。昨日に引き続いて。なんでしょうか。もうだめなのでしょうか、先日サイトも再開したばかりだというのに。再会の海。望郷の念に駆られて足摺岬から龍飛岬まで。いやです。
そして僕が欲しかったのはキャベツ1玉とニンジン1本なのでした。だからばあさんに、
『これとこれちょうだい』っていったら、(以下オチのない無駄話につき削除)。
海燕
もう、眠い。
蛍烏賊は旨い。漬けたのも旨い。湯掻いたのを酢味噌で食うのも旨い。でも生が一番旨い。生で寿司ネタとか。
金属翩が一定間隔でもって数多の坩堝との間の流れとなるからといって領域内の威活化となる筈もなくそれらは減少を招く結果に至ると云う事は現在までの他領域での同様の行為の結路からも明白であるにもかかわらずその様な手段を講じようとするのには一体どのような巨大な利権によるものであるか、あるいはただの低脳か。
どうでもよいことについてウダウダと鬱陶しいことを繰り返し繰り返し聞こえよがしに小声て呟いたり、したり顔で橋の欄干の上に立ち人工授精について胎盤の影響の重要性について市民大学集中講義抽選で女性50名様という閉鎖的な暴挙に抗議の意味をこめて大言壮語喉から鮮血迸らせつつ叫んだり、天網の漏れについてどうでもよいのにブチブチと何が楽しいのかきっと己の日常が楽しくないからこそなのかまあそれはそれでどうでもよいことなのですがヘララヘララと反吐出る薄ら笑顔で下がりきった卑しい口角から涎だらだらと能無しの牛の様に恥も外聞も弁える以前に知りもせず垂らしながら金切り声で、
『ママッ、ママッ、いかないデー。僕をひとりにしないデーっ』と、気色悪くも就業中にも関わらず椅子に座ったままご就寝中お察し申し上げます居眠り寝言のみならず己がみっともないスエキッタ忌むべきオタクのジーパンと同じスエた悪臭ぷんぷんと7km四方に発散させる淫猥なる一物見事に勃起させてスラックスに先走り汁の染みつけて衆人皆知にも関わらず知らぬが花か仏か井戸畑か終業のベルと供に涎薄汚れたスーツの袖手ぬぐいつつ
『それじゃあ、お先に』誰も返事しもしないのに一々不愉快な声聞かせていただきまして誠に有り難う御座いますのは忌むべきは紀國の巨体揺する大専門街店で色吉外の景色は次第に春になりつつ由々しくも天満宮の紅梅もその可憐な蕾を膨らませ内に秘めたる春の香りはやがて天空に広がるようです。
忌々しくも戦後日本を支えつづけてきたのは憎憎しくも卑しいエゴであったと云う事は悲しく悩ましげな事実として当然幕末から明治・大正とその道も全て同じ道筋であったといえるのでしょうね。如何せん反省するかのようなフリしつつ乳首弄られても選択バサミで強く挟まれた上にその先に500mlの水の入ったペットボトル付けたまま平気で控えも取らずに訴えたりしたりされるのは、己の保身なのか何らかの安心なのかと少し考えればもう老い先短い卑しい己らを救うことに誰もメリットを見出すことが出来ないのですよ、あなた方があの頃只管利潤を追求したように。誰も守ってくれるはずも無いのによくもまあ恥ずかしげもなく、げに浅ましきは森の木々の色の印度に伝わっているというのか直行する街では生け贄としての存在であったのでしょうか、それでも2度とは戻ってこないのです。やり切れないのです。同一性障害をもった流会に参加する彼を知ったのは僕が重い瞼と捨てることの出来ない思い出をずるずるとドンゴロスに入れて引き摺ってドラム缶に入れた後コンクリを流し込み、軽トラックにのせたまま空き地に放置したという全く破滅的な杜撰さ。これが意図的でないとするならば、どうしてその様なことが言えるのでしょうか。何食わぬ顔で家庭を持ち子を育て我が世の春を謳歌しているつもりのなかもしれませんがやがてその子のあの年齢に成長したときには一体どんな過酷な運命が待っているのか、己がした悪行の再現を映像で延々と見せ付けられるとしたならばそのときあなたはどうするつもりなのか。平気なのか。ならば死ね。己の子供の陰惨なる光景の映像を見せ付けられながら勃起させ、射精して、黙って死ね。
リンクしてくださっている皆様や、僕のこのサイト名とか直してくださった方や、それからメールとかしてくださった方や、掲示板に書き込みしてくださった方、それから、それから、色々な皆様や、昨日食べた鮭や、葱や、米粒や、空や風や海や水や大地や日や月や星や万物全て、本当に有り難うございます。皆様の慈愛のお蔭で僕はこうして生きています。でも眠い。
ライオンキングを見に行った。田村様はヘンゾ様に。
フリーで。一々人の時計のこととかについて煩く話しかけてくるおっさんと、学生風の兄ちゃんと、口角に泡がたまに溜まる白髪のじいさんと。牌勢がよくない。ので、一局だけ打って+5、すぐに雀荘を出た。
あなたにそこまで言われる理由なんか全然見当もつかないのですけれども、あなたがそこまで言うのには何か理由があるに違いありませんね。やはりさっぱり見当もつきませんが、一々とあなたの下らない理由に付き合わされて無駄な時間を過ごすのはまっぴらごめんですから、謝っておきます。ごめんなさい。
とかいわれたら凄くムカツクと思う人もいると思いますが、むかついた上でのそのムカツク相手にあなたは一体何を求めているのでしょうか。あやまって欲しいのでしたら、願いは叶っている筈です。それでいいでしょう。それに、もし誠意を見せて欲しいとかいう人もいらっしゃるようですが、それってその誠意ってなに?もっと演技しろって事?なんなの?あんた何様のつもり?他人の心の底までわかるっていうの?それとも、他人を自分の足元にひれ伏させる事が大好きですか?他人を見下ろして見下して鼠か蛆虫か何かを殺すように軽く踏み殺しますか?それ、甦らせる能力とかあり?(看守役はトム・ハンクスで)それとも金ですか?あはははははは、この守銭奴。
って高笑いする性根の腐りきった酷い人もいたモンです。よくもまあ、真摯な態度で抗議、むしろあなたの事を思って態々と忠告を与えてくださっている真面目な人に対して、本当にそんなフザケタ態度をよくもまあ取れたものです。人格に欠損があるとしか思えませんし、そんな状態で一体全体今までどのように社会との折り合いをつけて生活してきたのか、想像できないですし、そんな薄汚い生活なんて想像したくもありません。あきれ返って声も出ません。
って、声出てるじゃないですか、やーいやーいうそつきやーい。第一、あなた他人の事、『酷いことをいう酷い奴』扱いしていますが、あなただって相当酷いです。そんなあなた、一遍死んだほうがいいですし、こんなこといってる僕もやはり同じように一遍死んだほうがいいです。みんな死ねばいいんです。でも、まあ、どのみちそのうち一人残らず死にますから、死ぬ運命にあるのですから、ごゆるりとこの糞忌々しい人生を泣いたり楽しんだり怒ったり笑ったりして、お寛ぎ下さい。とても素敵なエンターテイメント。さて、テイメンツの3人の名前全然覚えられませんし、覚える気もありません。
重い瞼の思い出は高校生の頃のあの教室南からの日差しの明るいぽかぽかとあの暖かい教室。鉛筆回しや逆鉛筆回しにも飽きた僕は新たなチャレンジとして「椅子に座って目を開けたまま寝る」にチャレンジ。カッと目を見開いたまま、丹田で呼吸をし意識を沈め、外界の音を遮断し眠りにつこうとしたのだけれども、目から絶え間無く入ってくる映像を処理しようとする脳はやがて気味の悪い夢を見ているかのようでした。まもなく強烈な吐き気が僕を襲い、気分の悪くなった僕は保健室に行き、思う存分眠りました。負けました。
最近携帯電話をじっと見つめている頭のおかしな感じの人がいっぱいいると思っていましたが頭がおかしいのは僕でした。みんなi−modeでメールしていたのですね。
もういい加減にしてほしい。その子供じみた嘘。何でばれるのわかりきったことを恥ずかしげもなく腐りきった性根。お前らこそ死ねばいいのに。
桃の節句なのに梅が咲いています。馨しい香り漂わせたとても可憐な花です。僕のことを忘れないでなんて自分勝手なセンチメンタリズムに陥るほど心は追い詰められていたのでしょうか。せめて、僕の下らない命よりも永くその花を咲かせ続けて下さい。